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2016年鉄道3大ニュース

 気がつけば2016年も残すところあとわずかとなった。鉄道にまつわるこの1年の話題を振り返り、筆者(梅原淳)とのかかわりを述べてみたい。

■鉄道3大ニュース

・1位 JR北海道が自社単独では維持困難な線区を発表 11月18日

 

 JR北海道といえば、3月26日に北海道新幹線新青森-新函館北斗間の開業という明るいニュースがあったものの、全体として深刻な話題に終始した。たとえば、3月26日のダイヤ改正で普通列車の大量廃止、8月に北海道を次々に襲った台風によって線路や施設に大きな被害が発生したといった具合にだ。なかでも最大のものが表題のニュースである。JR北海道の営業キロ2568・7kmのうち、実に48パーセントに相当する1237・2kmが自社単独では維持困難と見なされたのだ。
 沿線の自治体には今年の春以降、JR北海道から維持困難であるという旨を伝えられていたらしい。そうしたこともあり、筆者は夏ごろから地元の北海道新聞からこの話題についてインタビューやコメントの依頼を受けた。さらに、全国版メディアへの寄稿、コメントも相次ぎ、直近では2017年1月9日に発売予定の「週刊エコノミスト」(毎日新聞出版)にも筆者が記した拙文が掲載の予定だ。
問題の本質、解決の指針については拙記事をご覧いただくとして、根本的には資本主義の世の日本で鉄道という交通機関をどのように維持していくかという問題に突き当たる。『鉄道政策論の展開 創業からJRまで120年』(運輸経済研究センター編、白桃書房、1988年1月)のなかで当時大阪市立大学教授であった中西健一氏は次のように記した。
「国鉄経営破掟の原因については、多角的に論じられたが社会党・共産党などは組合擁護の立場から合理化の不徹底や生産性の低さ、争議やサボタージュによる貨客離れ、人件費の圧迫などについては意図的にふれず、利子負担を主に問題視し、借入金利子補助方式ではなく、西欧型の単年度欠損補助方式を採っていたならば国鉄の破産は防止できたはずであるなどと主張した。単年度補助方式をとっていたなら国鉄の破産は防止できたかもしれないが、それは単に負担を国鉄財政から国家財政へ移すだけのことであって、労働力を含めて巨大な資源の浪費という事態の本質はなんら変わらないのである。単年度欠操補助方式の方が親方日の丸的経営不在をいっそう助長していたかもしれない。(後略)」(前掲書402ページ)
 JR北海道の営業損失を補てんするために設けられた経営安定基金の運用益には税金が投入されている。にもかかわらず、なお経営破綻の可能性がぬぐい去れないJR北海道は果たして、「単に負担を国鉄財政から国家財政へ移すだけのことであって、労働力を含めて巨大な資源の浪費という事態の本質はなんら変わらない」という状態と言えるのだろうか。いまから30年近く前の問いかけが2017年にはさらに重くのしかかる。

 

 

・2位 JR九州の株式が公開される 10月25日

 

 JR九州の株式公開は同社そして政府にとって長年の夢であった。にもかかわらず、上場を果たしたJRとしては1997年10月のJR東海以来と実に19年もの時間を要したのは、同社の経営基盤の弱さに由来する。JR北海道、JR四国とともに、経営安定基金の運用益なくしては鉄道事業における営業損失を補てんすることができなかったからだ。
 「週刊エコノミスト」誌上や「毎日新聞経済プレミア」「東洋経済オンライン」で筆者が指摘したとおり、JR九州は上場に当たって本業の鉄道事業の営業損失を許容し、関連事業である不動産事業の営業利益で補うという方策を採り入れている。株式公開後は鉄道事業が足を引っ張らないよう、あらかじめ鉄道用の固定資産だけで5256億8500万円もの減損処理を行い、2016年度期首には鉄道用の固定資産はわずか6億7700万円となった。鉄道用の固定資産のうち鉄道車両は1億0100万円で、筆者の算出では「ゆふいんの森」向けに増備された車両で、九州新幹線用の新幹線電車や「ななつ星in九州」用のディーゼル機関車や客車は簿記上では無価値と見なされている。
 筆者は10月にある証券会社で機関投資家向けに講演を行った。その席上でもJR九州の大胆な固定資産圧縮術は話題となっており、少々強引ではないかとの意見もあったほどだ。ともあれ、上場直後に3060円であった株価は本稿執筆時である12月26日の終値でも3050円とほぼ同額で推移している。JR九州の進む先にこそ、これからの日本の鉄道の未来が示されているのではなかろうか。

 

・3位 リニア中央新幹線の建設費に財政投融資の活用が検討される 6月2日

 

 JR東海が整備を進めている超電導リニアによる中央新幹線、通称リニア中央新幹線の建設費は約9兆1000億円に上るという。この巨大なプロジェクトに対し、6月2日に閣議決定の「経済財政運営と改革の基本方針2016」、いわゆる今年度の「骨太の方針」に財政投融資の活用が検討された。2027年の品川-名古屋間、2045年の名古屋-大阪間と予定されている開業時期のうち、後者を最大で8年繰り上げるために政府が考案したJR東海への支援策だ。
 リニア中央新幹線への財政投融資は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)を通じて行われる。政府・与党は独立行政法人鉄道建設法の改正案を12月17日に閉会となった第192回臨時国会に提出し、与党などの賛成多数で成立となって総額3兆円に上るJR東海への財政投融資が確定した。
 返済条件を見てみよう。利息は年0・3〜0・4パーセント程度の固定金利、返済期間は40年だ。JR東海は最初の30年間は利息だけを支払い、残りの10年間は元本均等払いで返すという。
JR東海は2015年度に鉄道事業で5555億8600万円の営業利益を計上している。全国の鉄道事業者中、最大の数値だ。同社は長らくリニア中央新幹線の整備を自前で実施すると事あるごとに主張してきた。にもかかわらずなぜ財政投融資を受け入れるのか。自己資金が足りないからにほかならない。
「金融財政事情」2016年6月27日号(金融財政事情研究会)の「財投活用のリニア建設が待ち受ける命運」(6-7ページ)には理由について次のように記されている。少々長いが引用しよう。
「もともとJR東海が07年に弾いた試算では、同社の長期負債残高が25年度(当初の品川-名古屋開業年度)に4兆9000億円となり、これを開業8年目に3兆7018億円まで減らす計画だった。16年3月期の固定負債は計2兆2767億円。これを4兆9000億円へと、2兆6233億円増やす資金調達計画はどうなるか。
民間金融機関から借り入れる場合、JR東海が担保として差し入れられる試算はおもに建物および構築物と土地であり、その額は計3兆8822億円。このうち5552億円はすでに担保として設定済みであり、担保余力は3兆3270億円とみられる。だが、鉄道事業に供する建物や土地は処分しづらく、金融機関が厳密に担保を査定すれば融資可能額は大幅に小さくなるだろう。そのため担保余力の約7割にあたる2兆3000億円程度を銀行等からの借入れ可能額と甘めに算段しても、残る3000億円超は社債など他の方法で調達せざるをえない。JR東海の発行済み社債は6461億円、そこから3000億円超を上積みすると残高は約1兆円超までふくれあがる。
(中略)JR東海にとって、同時期に名古屋-大阪間も開業し、その建設費用にかかる長期負債を上乗せさせることは困難だった。」
 いま引用した無署名の記事には、JR東海の公表資料にもともと潜んでいた矛盾点が鋭く暴かれている――ともったいつけた言い方はやめよう。実を言うと、この記事を執筆したのは筆者である。
 筆者は、リニア中央新幹線とは国家的プロジェクトであり、私企業であるJR東海の裁量に任せるのではなく、政府が主導的な立場を取って整備を進めるべきと一貫して主張してきた。財政投融資の検討から決定へと至る過程は筆者の主張に沿うものだ。別に筆者の見識が正しかったなどと言うつもりはない。経済の観点から、日本の社会という観点からリニア中央新幹線という事業を見た場合、当然の帰結であり、筆者は単にその潮流に乗っただけである。


東北線で起きた鉄道愛好家による器物損壊事件について

線路間に設けられた安全ロープを撤去して逮捕

 福島県白河市内のJR東日本東北線で2015年6月上旬ごろ、2本の線路の間に設置された安全ロープが何者かによって切断されるという事件が起きた。報道によると、白河-久田野(くたの)間に張られた安全ロープ約800m分が切られ、さらには安全ロープを支えていた鉄柱約100本が引き抜かれたという。
 JR東日本の通報を受け、器物損壊事件として捜査していた福島県警察本部の白河警察署は2015年10月2日、京都市内の男子大学生(18歳)を同容疑で逮捕したと発表した。男子大学生はいわゆる「撮り鉄」と呼ばれる鉄道愛好家であり、同署の調べに対して「車両をきれいに撮りたかった」などと供述したそうだ。
 東北線で起きた器物損壊事件について男子大学生の行動に弁解の余地はない。鉄道愛好家各位は撮影の際にはくれぐれもマナーを守ってほしいし、またこのような行為を見かけたらぜひとも注意してもらいたいと考える。

悪いのは逮捕された男子大学生だけか

 さて、線路間に設置された安全ロープを切断したり、鉄柱を引き抜くといった行為が反社会的なものであるという前提で、鉄道趣味界の抱える問題を提起したい。
 今回の事件について、鉄道ライターといった筆者の同業者各位はこぞって批判を表明した。当然である。しかし、ある鉄道ライターの出した「鉄道ファンの風上にも置けぬ輩」という旨のコメントは言いすぎではないかとさえ思う。筆者を含めた鉄道メディアは決して品行方正ではないし、いま挙げたような行為を糾弾できる立場とは言えないからだ。
 交友社月刊「鉄道ファン」編集部に勤務した筆者の経験から今回の事件を見ると、容疑者の男子大学生が「鉄道ファンの風上にも置けぬ輩」とは断じて思わない。少々熱心すぎるものの、ごく普通の鉄道愛好家であろう。
 線路間に設けられた安全ロープは保線作業者に必要なものとはわかっていても、車両の姿を美しく記録するという観点では邪魔となる。このようなことを言うと差し障りはあるかもしれないが、率直に申し上げて筆者が勤務していた当時の「鉄道ファン」誌では安全ロープが写り込んだ写真は価値がないとされていた。ニュース写真のように代替の利かないものはともかくとして、特集のグラビアにはほぼ間違いなく採用されない。
 となると、「鉄道ファン」誌に写真を発表したいと考える鉄道愛好家、それからプロの鉄道写真家は2つの方策を採ることとなる。一つはもちろん安全ロープのない場所で撮影すること。そしてもう一つは安全ロープを撤去することだ。
 鉄道写真にとって障害物と見なされたものは何も安全ロープに限らない。起点からの距離を示す距離標や勾配の度合いを示す勾配標といった標識類までもが写り込んではならないと見なされ、実際に引き抜いたと当方に告白した鉄道写真家もいた。線路に立ち入らないようにと設置された金網の柵があると撮影しづらいと、ペンチで穴を開けてしまう例は後を絶たない。線路脇に雑草が生い茂っていた場合、抜かないほうがどうかしているとさえ考えられていた。
 いまは写真を撮影する鉄道愛好家への監視の目が厳しくなったから、このような行為はなかなかしづらい。だが、少なくとも10年くらい前までであれば平然と行われていた。いま挙げたようなものを正直に写し込んだ写真は鉄道写真とは見なされない。アマチュアの鉄道愛好家ならば発表のチャンスを失うし、プロの鉄道写真家にとっては飯の食い上げとなる。ならば、少々のリスクを覚悟のうえで撮影場所に細工を施してしまえばよいという気持ちは理解できる。
 1950年代から1970年代にかけて撮影された鉄道写真のなかには、現代の撮影であればとうてい発表できないものも多い。先に挙げた器物損壊もさることながら、より美しく車両の姿をとらえようと線路内に立ち入って撮影を行ったケースも目立つからだ。
 たとえば、東北線などの複線区間では2本の線路間に設けられた広い空間が設けられている例が多く、このような場所は格好の撮影場所であった。かつては鉄道趣味誌のグラビアを飾っていたものだが、いまこのような場所で撮影すれば犯罪と見なされることは言うまでもない。
 今回のような事件が起きると鉄道趣味誌は何らかのコメントを出す。大方は節度をもって撮影すべきという内容ではあるが、実際に撮影に熱を入れている鉄道愛好者から見ると虚しく響くであろう。グラビアページに掲載されている写真のなかには何らかの細工が施されたものが混じっているからだ。
 結論を言おう。写真とは事実を記録するものであるから、撮影の際には目の前に安全ロープがあろうが何があろうが甘受して写し込まなければならない。仮に邪魔だと思われるものが写っていると感じたらならば、撮影後の画像をレタッチソフトで修正すべきであろう。そして、ここからが重要な点で、鉄道趣味誌はさまざまな障害物が写った写真を一定の割合で採用し、鉄道愛好家に範を示す必要がある。そのような採用方針に転換できないのであれば、イベント列車の運転日に限っては鉄道愛好家が集まる撮影地から安全ロープなどを撤去してもらうよう、鉄道事業者に働きかけるほかないであろう。

鉄道趣味の在り方も時代の変化に合わせなくてはならない

 筆者はかねてから鉄道趣味誌に対し、掲載する写真の非現実的な面に異を唱えてきた。2010年代でありながら、掲載される写真の採用基準は1960、1970年代の基準では時代に即しているとは言えない。「鉄道ファン」編集部在籍時はもとより、鉄道ジャーナリストとして独立後もとある鉄道趣味誌の編集長に対して抗議したこともある。そうした行いが災いしてか、近年は鉄道趣味誌関連の仕事はさっぱりで、鉄道愛好家に対して訴える場も与えられない。
 個人の事情はさておき、多種多様な鉄道趣味誌が売られ、毎号充実した情報が得られるにもかかわらず、こと撮影を主体とした鉄道愛好家にとっては実現不可能と言ってもよい手本が示されている。このような現状は不幸としか言いようがない。
 器物損壊容疑で逮捕された男子大学生にどのような処分が下されるのかは不明だ。しかし、未成年でもあるし、何よりもいままで鉄道とのかかわり方について指導を受けた形跡がないので、関係各位には寛大な措置をお願いしたい。そして、鉄道趣味誌を中心とする鉄道メディアの関係者に対しては、2010年代の社会に応じた鉄道趣味を早急に提案してほしいものだ。

東京地下鉄、東武鉄道の新車は日比谷線の急カーブを曲がることができるのか

日比谷線用の新車は1両につき長さが2m延びる

 東京地下鉄、東武鉄道の両鉄道事業者は2014(平成26)年4月30日に共同でニュースリリースを発表した。両者間で実施している東京地下鉄2号線日比谷線(日比谷線)と東武鉄道伊勢崎線との相互直通運転用にと、2016(平成28)年度から2019(平成31)年度にかけて新しい電車を導入するのだという。
 ここまでならばよくある話だ。しかし、ニュースリリースにある次の一文が筆者の目を引いた。引用させていただこう。
「現在、3扉車両と5扉車両(前2両・後2両)が混在する東京メトロ日比谷線、東武スカイツリーライン直通車両のすべてを4扉車両(20m化7両編成)に統一し、将来のホームドア設置における課題を解消してまいります。」
 文中で「20m化」とは車両1両当たりの全長を20mに変えることを指す。ニュースリリースだけでは全長何mの車両から変えるのか、つまり現在用いられている「3扉車両と5扉車両」の全長が不明だ。補足するとどちらも全長18mとなる。
 地下鉄は、地上に敷かれた鉄道と比べると車両の長さを延ばすことが格段に難しい。莫大な建設工事費を節減する目的でトンネルを極限まで小さくつくった結果、計画よりも寸法の大きな車両を走らせようとすると、カーブを曲がったときに車体がトンネルに接触する恐れが生じるからだ。したがって、全国に地下鉄は数あれど、車両の長さを1両につき2mも延ばすことは非常に難しいと思われる。東京地下鉄も恐らくはその困難さを承知のうえで実施しようとしており、極めて珍しい取り組みに筆者は興味を抱いたのだ。

カーブを曲がるとき車両は線路の両側にはみ出す

 日比谷線は急カーブの多い路線である。最も急なカーブの半径は160mとして設計されたが、用地を取得できなかったために半径130mとさらに厳しいカーブとせざるを得なかった場所が3カ所ある。人形町-茅場町間、日比谷-霞ケ関間、神谷町-六本木間の各1カ所ずつだ。全長18mの車両が走行できるように設計された半径130mのカーブを果たして全長20mの車両が曲がることができるのか。検証してみよう。
 この地下鉄の建設計画が立てられた1957(昭和32)年ごろに準拠すべきであった地方鉄道建設規程では、車両の幅を2744mm、トンネル内側の幅は3810mmとし、車両とトンネルとの間は左右両側とも533mmずつ離すと定められていた。しかし、これでは建設工事費がかさむうえ、車両の幅が狭すぎると、東京地下鉄の前身の帝都高速度交通営団(営団)はトンネルの内寸を3200mmに縮めるいっぽうで車両の幅を2800mmに広げることとして運輸大臣の特認を得る。
 車両とトンネルとの間の余裕空間は左右両側とも200mmずつと333mmも減ってしまった。しかし、トンネルの内寸を610mmも小さくしたおかげで、1km当たりの建設工事費は今日の貨幣価値に換算してざっと数億円は安く上げられたはずである。
 カーブを通過する際、車両は車両偏倚(へんい)といって、車体の端部が曲線の外側へ、走行装置である台車と台車との間にある車体の中央部が曲線の内側へそれぞれはみ出す。車両偏倚は曲線半径が小さく、つまりカーブがきつくなればなるほど増えていく。
 それでは車両偏倚を求めてみよう。計算式は鉄道に関する教科書に載っているが、ここでは一般にも参照しやすいものとして島宗亮平、菊地隆寛、野元浩、大澤光行、「AC Trainにおける連節構造の採用」、「JR East Technical Review」1号、2002年、東日本旅客鉄道、38〜45ページの42〜43ページに掲載されているものを用いた。計算式は以下のとおりで、記号に関する注釈に説明を加えている。

W1=R-√{(R-D)2乗-(L1/2)2乗}
※D=R-√{(Rの2乗-(L0/2)2乗}
W2=R+√{(R+B/2-W1)2乗-(L2/2)2乗}-R-B/2

L0:固定軸距(1個の折れ曲がらない台枠または台車枠で左右遊びを特に付けない輪軸のうち、最前位にあるものと最後位にあるものとの車軸中心間の水平距離)
L1:台車中心間距離(ボギー車で前後の台車の回転中心間の水平距離)
L2:車体長(車体両妻外面間の水平距離)
B:車体幅(車体両側板の外面間の水平距離)
R:曲線半径
W1:曲線内方への偏り
W2:曲線外方への偏り

 東京地下鉄の前身の帝都高速度交通営団(営団)と東武鉄道、さらにはいまは実施していないが中目黒駅側で2013(平成25)年3月まで相互直通運転を実施していた東京急行電鉄との3鉄道事業者は1957(昭和32)年9月に「列車の相互直通運転に関する覚書」を取り交わす。同書には車両の寸法が記されており、固定軸距は2300mm、台車中心間距離は12000mm、車体長は不明だがいま日比谷線を走っている東京地下鉄の03系電車では17500mm、車体幅は2800mmだ。曲線半径の130mをmmに変換すると130000mmとなって、D=20.35mmからW1=158.90mm、W2=132.46mmと求められる。
 先ほど車両とトンネルとの間は200mmずつの余裕空間が設けられていると紹介した。つまり、半径130mのカーブでは車両偏倚によってこの余裕空間はカーブの内側では41.11mmへ、外側では67.54mmへとそれぞれ減ってしまう。これでは車両の走行状況によっては車体がトンネルに接触する可能性が生じる。
 そういうこともあろうかと営団はカーブの区間ではトンネルの幅を広げている。営団が著した『東京地下鉄道日比谷線建設史』(帝都高速度交通営団、1969年)の292ページにはトンネルの幅をどのくらい広くするかを算出する方法が記されている。半径800m以下のカーブに適用され、20000÷曲線半径(m)によって求められた数値(mm)がカーブの片側で広げるべき幅であるという。
 以上から、半径130mのカーブの場合、トンネルは車両の左側と右側とで153.85mmずつ、合計307.7mm広くなる。全長18mの車両が通過した場合、車両とトンネルとの間の余裕空間はカーブの内側で194.95mm、外側で221.39mmとなり、直線区間とほぼ同じ余裕空間が確保できた。

全長20mの車両が半径130mのカーブを曲がると……

 今度は全長20mの電車が半径130mの曲線を通過した場合の車両偏倚を求めてみよう。東京地下鉄8号線有楽町線や13号線副都心線で用いられている10000系という電車を例に挙げると、固定軸距は2100mm、台車中心間距離は13800mm、車体長は19500mm、車体幅は2800mmだ。計算するとD=16.96mm、W1=200.23mm、W2=161.55mmとなる。
 もともと設けられている200mmの余裕空間に153.85mmを加えた353.85mmからいま求められた車両偏倚を減じてみよう。全長20mの車両の場合、余裕空間はカーブの内側で153.62mm、外側で192.3mmとなる。
 カーブの外側の192.3mmはともかく、内側に残った153.62mmの余裕空間をどうとらえるべきであろうか。直線区間で設けられていた200mmと比べると46.38mm減っているが、考え方を変えれば「まだ」153.62mm残っているとも言える。いずれにせよ、全長20mの車両であっても走行自体は可能だ。半径130mのカーブでは車両の動揺をできるだけなくし、ただでさえ少ない余裕空間をこれ以上減らさないよう、制限速度を現状の30km/hからさらに下げるとか、軌道の狂いを極限まで低減するといった整備基準を立て、国土交通省関東運輸局長に伺いを立てなくてはならない。
 取材や調査ができなくて誠に恐縮ではあるが、車軸を曲線の中心に移動させる自己操舵台車も車両偏倚の低減に貢献できるのではないかと筆者は考える。何しろ、引用した計算式では「固定軸距」と明記されており、「移動軸距」とも言うべき自己操舵台車ならば車両偏倚はまた別の計算で求められるであろうからだ。

面倒を承知のうえで車両の全長を延ばす理由とは

 ところで、東京地下鉄と東武鉄道とはこのような面倒を承知でなぜ車両の全長を延ばすのであろうか。それは、ニュースリリースにある「将来のホームドア設置における課題を解消」という文言がカギとなる。
 旅客の安全を守る目的で近年急速に導入が進められているホームドアは、駅にやって来る車両の扉の位置や数がまちまちでは設置が難しい。新車の導入を機に統一できれば日比谷線の全駅にもホームドアが見られるようになるというのはニュースリリースに記されたとおりだ。
 ここまでであれば、電車の全長を18mから20mへと延ばす必然性は特に感じられない。扉の数と位置とを統一したければ、8両編成のうち、前後2両ずつに混在している5扉車両だけを取り換えるか、いまも行われているように、5扉のうち2扉を閉め切り、3扉車と同じ位置となる残る3扉を用いればよいからだ。
 ニュースリリースに記されていない点を補足しよう。東武鉄道伊勢崎線で用いられている通勤電車は日比谷線との相互直通運転用の電車を除いてすべて全長20mであり、側面の片側4カ所に扉が設けられている。したがって、今回の新車は日比谷線ではなく、伊勢崎線にホームドアを導入するとなったときに意味をもつ。
 これでようやく日比谷線に全長20mの車両が導入される理由がおわかりになったことであろう。来る新車は半径130mの急カーブを余裕空間を減らして走るのか、それとも自己操舵台車を付けるなどの施策を導入して車両偏倚を減らした車両となるのか、はたまた急カーブ区間のトンネルの幅を広げる大改造工事を実施するのか、その他の方法を採用するのか。答えは2016年度に明らかになる。

2012年7月4日 篠ノ井線で発生したデッドロックについて

「あれ? どうして列車が動けなくなったのだろう」
 JR東日本長野支社のCTC(列車集中制御装置)センターで列車の運転を監督する運転指令員はこうつぶやいたに違いない。このとき、列車の運転状況を示すCTC表示盤では、単線区間の篠ノ井線に設けられた行き違い場所である桑ノ原信号場(姨捨-稲荷山間に設けられた信号場。なお、篠ノ井線の正式な起点は篠ノ井駅、終点は塩尻駅だが、本項では起点を塩尻駅、終点を篠ノ井駅として扱う)付近で3本の列車が立ち往生していると表示し、列車の進路を自動的に設定するPRC(自動進路制御装置)が3本の列車に対して進路を構成できないと警報を発してきたはずだからだ。
 摩訶不思議なトラブルは2012年7月2日の午前9時ごろに発生した。翌7月3日付けの読売新聞の「列車ダイヤ作成ミス…立ち往生、単線に3本進入」(※リンク切れの際はご容赦いただきたい)という記事がわかりやすいので、記事をもとに状況を整理して紹介しよう。
 桑ノ原信号場は通過主体の主本線1線と待避線となる副本線1線との組み合わせから成り立つ。トラブルは、同信号場の副本線に下り回送列車が待避しているところに、上諏訪発長野行き下り普通列車の第1535M列車と上り回送列車とがほぼ同時に同信号場に接近したために発生した。
 言うまでもなく、第1535M列車と上り回送列車に対して副本線への進路を構成することはできない。いっぽう、両列車に対して主本線への進路を構成することも不可能だ。主本線は1線しか存在しないため、列車衝突事故に結び付くからである。もちろん、主本線に第1535M列車または上り回送列車のどちらかを進入させても問題は解決しない。
 かくして、副本線の下り回送列車に対して停車場からの進出の可否を示す出発信号機は停止を現示したままとなり、桑ノ原信号場に進入しようとする第1535M列車と上り回送列車とに対して停車場の進入の可否を示す場内信号機はやはり停止を現示したままとなる。そしてこの状況は3本の列車のうち、いずれか1本が存在しなくなるまで続く。いわば三すくみ状態である。
 読売新聞の記事によれば、上り回送列車が稲荷山駅まで引き返し、篠ノ井線は約1時間半後に運転を再開したという。このトラブルで第1535M列車の利用客約70人が車内に閉じ込められたほか、同列車を含む上下6本の列車が最大約1時間36分遅れ、合わせて約600人が影響を受けた。トラブルの原因は臨時に設定された上下の回送列車の列車ダイヤの作成ミスが原因だそうだ。
 当ホームページの読者には鉄道関係者の方も多い。関係者各位はこの記事を読まれて即座に「デッドロックが発生したのか」と思われたことだろう。今回のトラブルはまさに閉そく装置の教科書に載っているとおりのデッドロックが起きたのである。
 デッドロックとは、いずれの列車にも進路構成ができなくなる状態を指す。先ほど挙げた線路の条件から、桑ノ原信号場を含む稲荷山-姨捨間の本線(列車の運転に常用される線路)に3本の列車を進入させるには以下の2つのいずれかでなくてはならない。

1.3本の列車の進行方向がすべて同じである。
2.3本の列車の進行方向が異なる場合、まず桑ノ原信号場で1本の列車(Aとする)が待避し、次に進行方向の異なる2本の列車(BとCとする)が通過する。B、Cの進行方向はともに同じでなくてはならない。

 ところが、当日の列車ダイヤはいま挙げた1でもなければ2でもない。先述のとおり、下り回送列車が副本線に進入した後、第1535M列車と上り普通列車とがほぼ同時に桑ノ原信号場に進入しようとしたのだ。幸い、2本の列車とも停止を現示していた桑ノ原信号場の場内信号機によって止まったので列車衝突事故は避けられたものの、三すくみのデッドロックが生じたのである。
 原因はすでに述べたとおり、列車ダイヤを誤って作成したからである。JR東日本長野支社運輸部は信濃毎日新聞の取材に対し、列車ダイヤの作成ミスを認め、陳謝したという。2012年7月3日付けの同紙の記事(※リンク切れの際はご容赦いただきたい)によれば、同部の2人の担当者が臨時の回送列車を設定した際、桑ノ原信号場でデッドロックが生じるとは予想できなかったことが原因であるとされる。しかも、2人の担当者は列車の運転を担当する指令室で確認したにもかかわらずだ。つまり、PRCのコンピュータープログラムそのものにも設定ミスが存在していたこととなる。いままでこの手のトラブルが生じなかったのは、ひとえに列車の運転本数が少なく、桑ノ原信号場付近で3本の列車が行き交う状況が発生しなかったからだろう。
 桑ノ原信号場でデッドロックが発生する可能性にJR東日本の担当者はなぜ事前に気づかなかったのだろうか。筆者はこの信号場の線路配置に原因があると考える。先ほど同信号場には主本線と副本線とが1線ずつの合わせて2線しか存在しないと記したが、実はもう1本、折返線が存在するからだ。
 25‰の勾配区間の途中に設けられている桑ノ原信号場に停車するには平坦な区間に敷かれた副本線へと進入する必要があり、その際に列車の向きを変えなくてはならない。このような停車場をスイッチバックの停車場と呼ぶ。
 副本線と折返線とをそれぞれ独立した存在としてとらえれば、桑ノ原信号場には主本線、副本線、折返線と確かに3本の線路が存在することとなり、3本の列車を運転する際の条件が緩和される。その条件はあえて挙げないが、ご理解いただけることだろう。
 具体的な運転方法を説明しておこう。篠ノ井線の本線と副本線とはシーサースクロッシング(隣り合う2軌道で2つの渡り線が交差する軌道構造)で結ばれている。桑ノ原信号場を通過する列車はシーサースクロッシングの交差側を通り抜け、停車する列車は次のような進路をたどっていく。
1.塩尻方面から篠ノ井方面に向かう場合
 折返線に進入し、ここで退行して副本線に向かう。主本線に合流するには再度向きを変える必要がある。
2.篠ノ井方面から塩尻方面に向かう場合
 副本線に進入し、ここで退行して折返線に向かう。主本線に合流するには再度向きを変える必要がある。
 ところが、実際には副本線と折返線とは1本につながった線路であり、それぞれを独立した線路として扱うことはできない。どうやら、JR東日本の担当者は桑ノ原信号場の線路配置のもつ特異性を見落としていたようだ。
 実を言うと、桑ノ原信号場では2本の列車しか存在しない場合でもデッドロックは生じる。もうおわかりのとおり、いっぽうが副本線に入り、もういっぽうが折返線に入った場合だ。
 JR東日本の担当者のミスを責めるのはたやすいが、実際に当事者となったとしたらなかなか気づかないだろう。単に絶対信号機が停止を現示しただけであるので重大インシデントというほどの案件でもないし、何よりも安全が確保されていた。当日、迷惑を被った利用者の皆様には恐縮だが、JR東日本には関係者への寛大な処分をお願いしたい。
 読売新聞の記事を一読した筆者の感想は、一般向けの内容ながらよく掘り下げていてなおかつわかりやすいというものだ。新聞では触れられてはいなかった詳細な原因については本項がお役に立ったのではないかと自負している。
 ところで、今回のトラブルで筆者と同業のさる鉄道ライター氏が読売新聞の記事を批判されておられた。読者の皆様の参考になると考えるので、引用させていただこう。
「ダイヤ作成ミスでは済まされない。いい加減な記事だが、途中の桑ノ原信号場の待避線が埋まっていたとはいえ、同一閉塞区間に2本列車が入ったのか? その辺りを明らかにしてほしい。」(土屋武之、http://twitter.com/twins_tsuchiya/status/219951164316323840)
「「『閉塞区間』は鉄道の安全を守る、最大の鉄則」。このことを理解した上で、報道していただきたいもの。」(同、http://twitter.com/twins_tsuchiya/status/219954269833535488)
 恐らく、この鉄道ライター氏がおもちの鉄道に関する知識は筆者に比べて何倍もあり、閉そくについても相当な量であると筆者は考える。だからこそ、読売新聞の「単線区間に列車3本が進入し」という文言を「いい加減」だと断じたのだろう。その使命感の強さは尊敬に値する。
 筆者のように鉄道の知識に乏しく、問題が生じるたびに専門書や教科書で確認しなければ何も発言できない者にとっては、同紙の記事に登場する文言の一つ一つについて意味を調べなければ安心できない。「双方が赤信号で停車した」という文言は鉄道に詳しい人にとっては当然に思われるかもしれないが、筆者にはよく理解できなかった。そこで、『閉そく装置 改訂版』(日本鉄道電気技術協会、2004年4月)を本棚から引っ張り出したのである。
 同書の7ページにはこう記されていた。「信号機は閉そく区間の境界です」と。第1535M列車も上り回送列車もそれぞれに対して停止を現示している場内信号機によって停車したのであるから、同一の閉そく区間に進入してはいないのではないかと筆者は考える。
 同様に、問題の発端となったと考えられる「単線区間に列車3本が進入し」という文言についても検証を試みた。篠ノ井線は塩尻-松本間と田沢-明科間が複線で残る松本-田沢間と明科-篠ノ井間は単線である。しかしながら、全線が自動閉そく式であり、JR東日本の『2011会社要覧』の47ページによれば、篠ノ井線は単なる自動閉そく式であって自動閉そく式(特殊)でないことが判明した。
 『閉そく装置 改訂版』の33ページによれば、単線区間における単なる自動閉そく式とは正式には自動閉そく式(自動A)といい、停車場間に閉そく信号機を設け、停車場間の軌道回路は列車に対向する送電となるように運転方向により切り替えを行うとある。いっぽう、自動閉そく式(特殊)は同(自動B)ともいい、遠方信号機を設け、停車場間に閉そく信号機は設けず、停車場間に長大軌道回路を設け、送受電の切り替えは行わないとあった。
 以上から、篠ノ井線の単線区間の停車場間には複数の閉そく区間が存在するのは明らかだ。「単線区間に列車3本が進入する」ことくらい別に普通ではないかと筆者は考える。
 ここまで来ると筆者は軽々しく同一の閉そく区間に複数の列車が進入したとは言えない。この鉄道ライター氏を批判しているのではなく、鉄道に関する知識が筆者には乏しく、一般向けに丁寧に記されているはずの読売新聞の記事にすらつまづいてしまうからだ。
 もしかすると、鉄道ライター氏は全国の路線を乗られたご経験から、「単線区間の規模はこんなもの」という結論を導かれたのかもしれない。「単線区間とは所詮田舎にある設備」という偏見が潜在しているのだとしたら少々寂しいと筆者は考えるが、実際にそうなのかもしれない。
 ちなみに、拙宅の最寄駅はJR東日本内房線の大貫駅であり、篠ノ井線同様に自動閉そく式(自動A)が導入された単線区間だ。大貫駅は行き違いや待避が可能なように2本の線路が敷かれているので、桑ノ原信号場で起きたトラブルのように3本の列車を進入させようとするとデッドロックが生じる。
 PRCによって自動化されたとはいえ、内房線の単線区間では列車が停車場に止まるたびに関係する双方の停車場の運転方向てこを切り換えるタイムラグが発生し、複線区間に比べて停車時間が長くなってしまう。複線の都心の列車と比べると恨めしくもあるが、それよりも単線の内房線を利用することで筆者は改めて鉄道に関する知識のなさを痛感し、勉強の必要性を感じた。
 宣伝で恐縮ながら、筆者は千葉県富津市から2012年8月9日(木)と同11月17日(土)とに鉄道に関する講演を依頼されている。単線区間での列車の運転方法に関して筆者が理解した点を述べることも皆様の参考になるかもしれない。


※2012年7月7日0時00分追記
 本項を公開した後、読売新聞の記事をそのまま引用すると問題が生じる可能性が判明しました。そこで該当の個所を書き換え、これに伴って連動する後半の文章も修正しております。ところが、後半の文章は該当個所を削除しただけの状態となり、差し替え文章を挿入しそびれた結果、全体として意味を成さないという事実にいまさらながら気づきました。読者の皆様にはお見苦しい状態となっておりましたことをおわびして訂正いたします。
 なお、後半の文章で論じました鉄道ライター氏の発言につきまして、差し替え前の文章は少々先方への尊敬に満ちたものとなっており、論じられる側も気色が悪かろうと考えました。このため、差し替え後の文章はやや不躾な記し方となっております。この点に関しましてもご承知おきいただきますと幸いです。


「現代の谷暘卿(たにようけい)、青木槐三(あおきかいぞう) 吉村光夫さんの逝去を悼む」

 元TBSのアナウンサーであり、鉄道愛好家として名高い吉村光夫さんが2011年1月3日に急逝されてから1年が経過した。吉村さんに大変お世話になった身としては、昨年1月の段階で追悼文をしたためるべきであったことは重々承知している。ところが、あまりの衝撃に執筆する気力を失い、さらには多忙な日常に埋もれていた間に東日本大震災が起き、記すことができなくなったのだ。
「梅原君、早く何か書いてくれないかな。」
 天国の吉村さんはしびれを切らしておられるに違いない。しかし、筆者としては鉄道、さらには日本という国全体に生じた変化の流れに付いていくのがやっとであり、どうしても記すことができなかった。どうぞお許しください。
 そのような折も折、2012年1月8日に「吉村光夫さんを偲ぶ会」が催され、筆者もはせ参じた。鉄道趣味の大先輩、吉村さんが出演されていたTBSテレビ「夕やけロンちゃん」のアシスタントの方々、TBSのご同僚、吉村さんが特にお好きであった京浜急行電鉄からは元幹部の方、そして何より吉村さんが愛されたご家族の方々のスピーチを拝聴し、筆者も吉村さんの偉業を紹介しなければならないと痛感したのである。吉村さんのご功績についてはさまざまな方面で紹介されているので、インタビュアーとしての吉村さんを取り上げてみたい。

 月刊「頭で儲ける時代」(現在は廃刊)の編集を担当していた1994年、筆者は著名人へのインタビューページを担当する機会を得た。ベンチャービジネスに関連する雑誌であったので、インタビューのテーマはビジネスや金銭の話が主体ではあったが、あまり堅苦しくは定められてはいない。インタビュアーには吉村さんこそ最適と、早速依頼したのである。
 かつて勤めていた月刊「鉄道ファン」編集部時代から吉村さんと仕事をさせていただいた筆者にはいくつかの心配事があった。その最たるものは「鉄道に関する仕事でないのに依頼してよいのか」というものである。だが、打ち合わせの場をもったとき、吉村さんは開口一番自らに問いかけるように語りかけられた。
「インタビューといえば、ラジオでむかし僕はしゃべりすぎて、相手に『はい』とか『いいえ』としか言わせなかったんだよ。これはまずかった。だから、インタビューの相手にはどんどん自分の言葉で話してもらうようにしなければいけないね。」
 そう、吉村さんは筆者ごときの担当するインタビューのページに並々ならぬ意気込みを示してくださったのだ。そして、実際のインタビューでも筆者が舌を巻くような光景に何度も出くわした。
 まず、何と言っても会話が全く途切れない。インタビューの相手は男性あり、女性ありで年齢も吉村さんよりは皆年下ではあるが、20代から50代と幅広かった。にもかかわらず、吉村さんが繰り出される話題は豊富でなおかつつっかえるなどということもなかったのである。生放送で培われた職人芸と感心するほかない。
 次に、インタビューに要した時間も筆者が依頼した1時間と正確なら、吉村さんの質問とインタビュー相手の答えとを含めた言葉の数を文字に換算すると依頼した原稿の量にほぼ一致していた。これはもう神業としか言いようがない。やはり放送の現場で鍛えられた技なのであろう。
 三つ目は、吉村さんのもつ温和な雰囲気によってインタビューの相手が吉村さんに全幅の信頼を寄せ、気兼ねなく話していたという点である。インタビュー相手が初めて公表するような話を聞き出し、マネジャーさんが狐につままれた表情をしているのを見たのは一度や二度ではない。
 インタビュー相手がいかに吉村さんを信頼していたのかを示すエピソードを紹介しよう。アルベールビルオリンピックで銀メダルを獲得したフィギュアスケート選手の伊藤みどりさんへのインタビューもそろそろ終わりというころ、吉村さんは満面の笑みをたたえ「世界一のスケート選手の太股を触らせていただけませんか」と伊藤さんに依頼されたのである。
 言うまでもなく、吉村さんは若い女性の体を触りたいなどという邪な気持ちからこの言葉を発したのではない。ジャーナリストとしての使命感から、日本のスポーツ界の歴史に残る名選手の筋肉、それも世界で数人しか成し得なかったジャンプの源となる筋肉とはどのようなものかを真摯な気持ちで取材しようと試みたのだ。その気持ちはだれよりも当の伊藤さんが理解していた。間髪を入れず「いいですよ」とわずかにスカートを引き上げ、吉村さんの要望を承諾したのだ。
 伊藤さんの筋肉を確かめた吉村さんはすぐに「ありがとうございます。思ったとおり素晴らしいおみ足ですね」と謝意を伝え、いままでどおりの会話を続けられた。筆者も周りのスタッフも呆気にとられているなかでの出来事であったものの、当のお二人はそれが当然の行動というように顔色には何の変化も見られなかったのである。想像を絶する努力で栄光を手にした天才アスリートだからこそ、吉村さんが醸し出すジャーナリストとしての天才的な能力を直感的に見抜いたのであろう。
 実はこの模様を撮影した写真は誌面にも掲載させていただいたから、特に秘めたエピソードではない。ただし、いまではもう見る機会もない雑誌なので紹介させていただいた次第である。
 吉村さんは、ジャーナリストがすべきことなどを表だって教えるようなことはされていない。とはいえ、会話の節々から、筆者に何かを伝えようとされていたことはうかがえた。あるとき吉村さんは珍しく憤慨し、こう語っていたのを覚えている。
「スピードアップ、サービスの向上……。鉄道会社にはすべきことが山積みなのになかなか腰を上げない。難しいからだって言うんだ。でも面倒だからやらないというのであれば、朝起きるのだって面倒なんだよ。全くけしからんねえ。」
 鉄道会社にも言い分はあるとして、筆者にとって勉強となったのは「面倒なことを厭うな」という言葉である。ジャーナリストという立場に置き換えて面倒なものを3点挙げてみよう。調べることは面倒だし、当事者に聞くのも面倒、自らが正しいと思うことを主張して角が立つのも面倒だ。しかし、「これらを面倒だと考えるのであったら、ジャーナリストなどやめてしまえ」と、吉村さんは筆者に対して無言で説教していたのだろう。
 吉村さんはとても人には優しい反面、ご自分にはとても厳しい方であり、いつどのようなときでも新しいことを知りたいと願い、それを人に伝えるということを念頭に置かれていた。このような業績から、吉村さんは現代の谷暘卿(たにようけい。1815年〜1885年)、青木槐三(あおきかいぞう。1897年〜1977年)であると筆者は考える。谷は明治維新直後、民間人としては初めてそして唯一、鉄道の価値を認め、政府に鉄道建設を働きかける建白書を提出し、鉄道の利点を広く世間に知らしめた人物だ。また、青木は新聞記者として携わった鉄道について深く掘り下げた記事や著作物を多く発表し、日本の鉄道ジャーナリストの元祖である。両名とも日本の鉄道の発展に寄与し、鉄道史を語るうえで欠かせない。いずれ、吉村さんもいずれ鉄道部門で果たされた業績がまとめられるはずだ。
 いまごろ、天国の吉村さんは根っからのジャーナリスト魂で鉄道界の偉人たちにマイクを向けておられるのではなかろうか。伊藤博文、大隈重信、井上勝、立川勇次郎、後藤新平、島安次郎・秀雄親子、十河信二、日野原保……。広く海外に目を向けられていたからジョージ・スティーブンソン、ジョージ・ウェスティングハウス・ジュニア、ヴェルナー・フォン・ジーメンス、フランシス・キーレン・デン・ホランダーらにも――。どんなに気難しい相手でも吉村さんは決して物怖じすることなく、だれもが知りたいことを的確に質問されたに違いない。大隈には「日本の鉄道に狭軌を採用し、そのことで後々苦労したことについてどう考えているか」、ウェスティングハウスには「自身が発明した自動空気ブレーキ装置がいまでも用いられることを誇りに感じるか否か」、デン・ホランダーには「TEE(ヨーロッパ横断特急)の理念は今日のヨーロッパの列車に生かされていると思うか」と。それらの答えを筆者はぜひとも知りたいと願う。吉村さんのもとに筆者がうかがった際には、どうぞ面白おかしくお話しください。


2011年9月19日 『鉄道の未来学』の正誤

  拙著『鉄道の未来学』に次のとおり、誤りがございました。おわびいたしますとともに訂正いたします。

・69ページ後ろから3行目

長さ96・4キロメートルの路線であり、北海道新幹線同様に鉄道・運輸機構が建設工事を担当している。


長さ228・0キロメートルの路線であり、北海道新幹線同様に鉄道・運輸機構が建設工事を担当している。

73ページ2行目

 いま北海道新幹線と北陸新幹線について長々と記して来たのはトンネルが非常に多いという点を理解してほしいからだ。北海道新幹線では148・8キロメートル中、トンネルは65パーセントの約97キロメートルに、北陸新幹線では96・4キロメートル中、トンネルは63パーセントの約61キロメートルにそれぞれ達している。
 トンネルが多いと土木工事費がかさむので必然的に総工事費もはね上がってしまう。総工事費は北海道新幹線が約5600億円、北陸新幹線が約1兆5700億円だ。実際に新しく線路を敷設する距離は前者が67キロメートル、後者が88・4キロメートルなので、1キロメートル当たりの建設工事費は北海道新幹線がおよそ84億円、北陸新幹線がおよそ178億円と巨額に上る。北陸新幹線のほうが1キロメートル当たりの総工事費が高い理由ははっきりとは示されてはいない。しかし、富山、金沢の両市をはじめ、比較的人口の多い都市を通るため、用地取得費がかさんでいるからだと容易に想像できる。


 いま北海道新幹線と北陸新幹線について長々と記して来たのはトンネルが非常に多いという点を理解してほしいからだ。北海道新幹線では148・8キロメートル中、トンネルは65パーセントの約97キロメートルに、北陸新幹線では228・0キロメートル中、トンネルは45パーセントの102・7キロメートルにそれぞれ達している。
 トンネルが多いと土木工事費がかさむので必然的に総工事費もはね上がってしまう。総工事費は北海道新幹線が約5600億円、北陸新幹線が約1兆5700億円だ。実際に新しく線路を敷設する距離は前者が67キロメートル、後者が230・7キロメートルなので、1キロメートル当たりの建設工事費は北海道新幹線がおよそ84億円、北陸新幹線がおよそ68億円と巨額に上る。北海道新幹線のほうが1キロメートル当たりの建設工事費が高額な理由は、トンネルの比率が高いからであろう。

 69ページ、73ページとも、本来は228.0kmである北陸新幹線長野-金沢間の長さを誤って96.4kmとして記述してしまい、読者の皆様にはご迷惑をおかけいたしました。ちなみに、96.4kmという長さは同新幹線の長野-糸魚川間のものでございます。


広田尚敬著、『鉄橋コレクション 変わりゆく風景、変わらない風景』ご購読の勧め

 2010年11月25日に講談社から『鉄橋コレクション 変わりゆく風景、変わらない風景』という名の書籍が発売となった。著者は鉄道写真のパイオニアにして第一人者の広田尚敬氏。B5判・175ページで発行は講談社、定価は3800円(税別)である。
 本書は、全国各地に点在する鉄道の橋梁の最も美しい姿を収めた写真集だ。広田尚敬氏の鉄道写真家生活60周年を記念して出版される写真集の第5弾だけ あって、本書に収録されている作品はおよそ半世紀の時間をかけて撮影したものから厳選されている。どのページを開いても、広田氏の唯一無比の感性と、超絶 とも言える技術とに裏打ちされた橋梁の写真が目に飛び込み、その迫力に圧倒されることは間違いない。
 僭越ながら、本書において筆者と史絵.は橋梁に関するデータの調査を実施し、同時に筆者は「鉄橋の豆知識」という拙文を執筆した。自らが手がけた著作物 ということもあり、本書を評するとどうしても宣伝がましく受け取られてしまう。だからといって本書を紹介しないのはあまりにも惜しく、鉄道業界そして出版 界においても大きな損失であると考えた。したがって、通常は認められない手法での紹介をお許しいただきたい。
 本書に収められた300余りの橋梁の作品の一つ一つは膨大な手間を要して撮影された。車両や列車の扱い、季節や天候の表現、背景の処理と、橋梁の一つ一 つにおいて広田氏がイメージしたとおりの姿になるよう、試行錯誤を重ねた末に記録されたものである。その点については、本書に所収の橋梁を実際に訪れてい ただければおわかりになるだろう。実物の橋梁は広田氏が撮影した作品のようにはまず見えないからだ。
 筆者は橋梁のデータ作成に当たり、まずは橋梁の名称を確定させる作業から取りかかった。その際に大いに参考になったのは、社団法人土木学会が発表した歴 史的鋼橋のデータベースである。だが、広田氏の撮影記録から明らかに同一の橋梁だと思われたにもかかわらず、作品に写し込まれた橋梁の姿と学術的に撮影さ れた橋梁の姿とがあまりに違いすぎて、名称の確定に困難を来したものも多く現れた。まさに広田氏でなければ写し得なかった橋梁の姿が収められている事実の 証左である。
 手前味噌となるが、広田氏の作品の迫力に負けぬよう、本書は橋梁のデータの項目にさまざまな要素を盛り込み、万全を期した。長さはもちろん、構造や材 質、架設年月といった点だ。特に下部構造、つまり橋梁の基礎部分についての詳細はこの種の書物で触れられることは少なかったので、興味深くお読みいただけ るのではないかと自負している。
 今回の調査に際し、ご多忙にもかかわらず、橋梁のデータをご提供いただいた鉄道事業者、軌道経営者各位のご尽力には改めて感謝の意を表したい。懇切丁寧なご回答から、いかに鉄道の当事者たちが橋梁というものを大切にしているかを再認識することができた。
 余談だが、鉄道事業者、軌道経営者各位のなかには、自らが所有する橋梁が広田氏の写真集に取り上げられることを光栄だととらえ、感謝の言葉を口にされた ところも数多い。広田氏がこれまでいかに鉄道界の発展に貢献してきたかを示すエピソードであるとともに、氏の人徳が多くの人々に理解されていることに当方 も史絵.も幸福な気分となった。
 間もなく2010年も暮れようとしている。引き続き本年も数多くの鉄道書が世に送り出された。恥ずかしながら筆者も史絵.との共著を含めて5冊を上梓し た。それらのなかでも本書はひときわ輝く存在だと言える。鉄道に興味を抱いておられる方、近代産業遺産に深い関心をお持ちの方にはまさに必携の書である。 本書が一人でも多くの皆様の目に触れ、作品を通じて橋梁ひいては鉄道そのものの魅力に感じ入っていただければ、関係者としてこれに勝る幸せはない。
  • 2010.12.27 Monday
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2010年7月22日

「鉄道よもやま話」を更新しました
JR西日本の車掌が自社の電車に搭載された防護無線の予備電源装置のヒューズを抜き取ったとして、偽計業務妨害と器物損壊の容疑で大阪府警察に逮捕されました。この件につきまして、取り急ぎ「鉄道よもやま話」で筆者の考えを申し上げます。

2010年7月22日

「鉄道よもやま話」を更新しました
JR西日本の車掌が自社の電車に搭載された防護無線の予備電源装置のヒューズを抜き取ったとして、偽計業務妨害と器物損壊の容疑で大阪府警察に逮捕されました。この件につきまして、取り急ぎ「鉄道よもやま話」で筆者の考えを申し上げます。
  • 2010.07.22 Thursday
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JR西日本の車掌による車両の無線バックアップ電源のヒューズ抜き取り事件について

 2010年7月21日、JR西日本大阪支社天王寺車掌区に所属する49歳の車掌が偽計業務妨害と器物損壊の容疑で大阪府警察に逮捕された。逮捕容疑は次のとおりだ。2010年4月上旬に同社の電車の運転室に設置された防護無線の予備電源装置のヒューズを抜き取り、電車の安全運転に支障を生じさせ、同年4月から5月にかけて同社の車両に緊急点検を実施する必要を生じさせて通常の業務を妨げたというものである。
 報道によれば、ヒューズが抜き取られた電車は合わせて22両に上ったものの、これらはすべて件の車掌が乗務した車両であった。また、JR西日本は事件の再発防止策として2010年5月11日から15日にかけてヒューズを固定しているねじにシールを張って封印としたが、車掌はこの封印を破ってヒューズを抜き取ったそうだ。
 逮捕された車掌は大阪府警察の取り調べに対し、車掌としての業務が嫌で、JR西日本にも不満を抱いていたと供述している。以上から考えて、車掌には犯罪を隠す意図はあまりなく、自らの行動を通じて、自分に注目してほしいと考えていたらしい。率直に申し上げて、中学生や高校生が学校で非常ベルを押してみたり、消火器を噴射させるといったいたずらを働くのと同レベルの行為だ。安全性が損なわれるという点で非常に悪質な犯罪ではあるが、動機については割合単純で、青春時代の苦い記憶とともに思い起こす方も多いことだろう。
 車掌であれば、防護無線の予備電源装置のヒューズを抜き取ることは列車事故の際に致命的な結果をもたらすことなど容易に想像できるはずだ。というよりも、だからこそ抜き取ったのだとも言える。今回の事件は言語道断で、本来ならば何も言うべきことはないのだが、逮捕された車掌の「心の暗闇」を解明することで、今後同様な不祥事を防ぐことができると期待したい。


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