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サウナと風呂

弁解の余地なく悪人に仕立てられる恐怖

 ここのところ、大相撲に関するニュースが取り上げられない日はない。若ノ鵬関に始まり、露鵬関、白露山関と続いた大麻騒動で日本相撲協会は大いに揺れた。名前が挙がった3人の力士は解雇され、日本相撲協会の北の湖理事長は辞任に追い込まれている。
 筆者は学生時代に自転車競技に取り組み、いまでも観戦を続けている。本場ヨーロッパの自転車競技界での事例を当てはめてみると、若ノ鵬関が部屋を追い出されるのは仕方がないにしても、一定の謹慎期間の後に復帰という処分となりそうだ。また、大麻を所持していない露鵬関、白露山関は厳重注意、北の湖理事長は謝罪会見で十分だろう。とはいえ、相撲とは神事であるから、競技スポーツでの事例を当てはめることには無理があるとの意見ももちろん正しい。筆者のような外野がとやかく言う問題ではないだろう。
 今回の騒動で最も気になったのは報道のされ方である。3力士はもちろん、北の湖理事長も全く弁解の余地なく完全な悪人へと仕立てられた。北の湖理事長に対しては毎日のように辞任を迫っていたと言ってよい。
 筆者はテレビをほとんど視聴しない。しかし、たまたま出先で観た映像はたとえようもなく不快なものだった。それは、北の湖理事長が日課としているサウナに出かける光景である。コメンテーターは「このようなときによくサウナに行けますね」と発言していたのだ。いくら何でもこれは許されない。北の湖理事長の健康状態については筆者は知らないが、たとえば腎臓が悪いために透析を受けに毎日通院していたとしたら、「このようなときによく透析に行けますね」と面と向かって言えるのだろうか。
 日本相撲協会で生じた今回の不祥事をマスメディアが執拗に追及したのは正義感からでは断じてない。新聞や雑誌ならば発行部数が伸び、テレビならば視聴率が上がるからである。裏返して言うと、角界においていかなる不祥事が生じようとも、読者や視聴者の動向に何の変化も起きなければ取り上げられることはなかったに違いない。「大相撲をたたけば儲かるから」との幼い論理で行動したまでだ。

「勤務中の入浴」への批判は鉄道に対する無知から生じたもの

 いま挙げた話は鉄道にも大いに関係がある。ここ数年、マスメディアによって鉄道が好意的に取り上げられているのは、そうしておけばよい数字を獲得できるからに過ぎない。もしも鉄道を批判したほうが部数が伸び、視聴率が上がるとなれば、連日攻撃し続けることだろう。この場合、とにかく、どんな些細なことであっても、あるいは事実を曲げてでも鉄道の悪口が広く伝えられるに違いない。
 鉄道が最もたたかれたのは日本国有鉄道(国鉄)の末期、だいたい1980(昭和55)年から1985(昭和60)年までの間の時期である。確かに当時の国鉄の状況はひどかった。財務状態は破綻していたにもかかわらず、一部の職員は立て直そうという姿勢を見せず、接客態度は劣悪なうえ、不当に手当や休日を取得したりといった不正がまかり通っていたのである。
 国鉄に対するマスメディアの攻撃は1982(昭和57)年に入っていっそう強まった。この年の1月23日、ヤミ手当と言って不正な手段で手当を受給していた事件が明るみに出ると、職場での規律の乱れを追及するニュースで埋め尽くされたのだ。
 確かに、このときに取り上げられたものの大多数はたたかれても仕方がない。一例を挙げれば、勤務中の飲酒や有給休暇中にアルバイトをしていたといった具合にだ。けれども、当時高校生の筆者にはどうしても納得のいかなかった批判があった。それは勤務中に行っていたとして激しく糾弾された入浴だ。
 「勤務中の入浴」という言葉だけを見ると非常に悪い行いに見える。実際に働きもせず、ただ風呂に入っていたとしたら弁解の余地はない。しかし、国鉄、いや鉄道の現業機関における勤務中の入浴とは別の意味を持っていたのである。
 車両に設置されている便洗面所から発生する汚水や汚物は、かつてはすべて線路上に垂れ流されていた。特急列車も例外ではない。ブルートレインブームのころ、小学生の筆者は朝上京する寝台特急列車を線路際で待ち構えていたことがある。あるとき、列車が通過した瞬間、便所から大便が降り注ぎ、筆者の上半身を直撃したのだった。まだ冬だったが、筆者は近くの公園で全身に水を浴び、べそをかきながら帰宅したことを覚えている。
 国鉄の職員は毎日このような状況で車両の検査や修繕を行ったり、線路を保守していたのだ。糞尿にまみれた車両や線路に触れるのだから体が汚れるのは当然だ。手洗いだけでは済まないケースも多い。したがって、他の作業に移ったり、休憩や帰宅する前に入浴するのは当然だ。勤務中の入浴とは本来、こうした行為を指していたのである。
 筆者が学生時代に師事していた自転車のコーチは、若いころにくみ取りのアルバイトを行っていたそうだ。そのコーチによれば、清掃局では勤務中に入浴するのは当然のこととして認められていて、なぜ国鉄の職員が批判されるのか理解できないと語っていた。
 マスメディアでも勤務中の入浴についての行き過ぎた追及ぶりをたしなめた人がいる。作家・劇作家の井上ひさし氏だ。井上氏も車両から垂れ流される汚水や汚物を例に取って反証していた。発行号は失念してしまったが、掲載されたのは「週刊朝日」のコラム欄である。
 当然のことながら、当時の鉄道専門誌、鉄道趣味誌も勤務中の入浴を糾弾するようなことはしていない。鉄道というものを理解していたからである。しかし、強く訴えなかったためか、結局は大新聞やテレビによる批判の大合唱に打ち消されてしまった。
 このような過去を知るだけに、筆者は鉄道が持ち上げられている現在の状況を素直に喜ぶことはできない。マスメディアの都合を分析すれば、結局のところ、針のむしろの上に座っているのと全く変わらないからだ。孔子は「中庸の徳たるやそれ至れるかな」と言ったという。まさにそのとおりで、平穏な日々こそが最もありがたいと痛切に感じる。
 連日たたかれ続けられた1982年から26年、いまや便所や洗面所が設置されている車両には汚物処理装置が装備され、汚水や汚物が線路に垂れ流される光景は姿を消した。そのせいか、鉄道ライターを名乗っている人や、いわゆる鉄道ファンのブログ上で、過去に国鉄の職員が勤務中に風呂に入っていたことを批判する人がいる。これでは、ヒステリー気味のマスメディアに踊らされてしまうのも無理はない。


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