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2007年1月1日


「男の隠れ家」2008年2月号、あいであ・らいふ、2008年2月。定価:680円(税込)。

 来る2008(平成20)年3月15日のダイヤ改正で寝台列車の「北斗星1・4号」(上野-札幌間)、「日本海2・3号」(大阪-青森間)、「銀河」(東京-大阪間)、「なは」(京都-熊本間)、「あかつき」(京都-長崎間)が廃止となる。どの列車も年間を通じた乗車率が3〜4割と低迷しているために姿を消すという。
 利用客が少なければ車両の更新もままならない。それどころか、安全への投資もおざなりとなる。
 今回のダイヤ改正で「銀河」が廃止となるのは、JR東日本が東海道線東京-熱海間に在来線デジタル列車無線システムを2008年度末ごろに導入するからだと聞いた。「銀河」はJR西日本宮原総合運転所に所属する24系客車によって運転されているから、これらの客車を在来線デジタル列車無線システムに対応させるかどうかの判断はJR西日本に委ねられている。結局、JR西日本は「銀河」への追加投資を行わずに廃止の道を選んだのだ。
 同様の選択は東京-熊本間の「はやぶさ」と東京-大分間の「富士」とにも突きつけられる。両列車ともJR九州熊本鉄道事業部熊本車両センターに所属する14系客車で運転されているが、恐らくJR九州は在来線デジタル列車無線システムを14系客車に搭載することはないものと思われる。したがって、今回は廃止を免れたものの、次回のダイヤ改正では確実に姿を消すに違いない。
 寝台列車がまとめて廃止されることで、鉄道メディア界の動きも慌ただしくなってきた。多くの雑誌等で寝台列車の特集が組まれるようになってきたからである。鉄道ブームと言われている昨今、一般のメディアでも寝台列車を大きく取り上げるようにもなってきた。 もともと寝台列車は乗車率の割には人気が高い。これに去りゆくものへの郷愁と折からの昭和回想ブームとが加われば取り上げたくなるのは無理もない。人々が求めているのだから、それに応えるのもメディア側の人間としての役目だろう。
 寝台列車ブームについては理解できるものの、筆者にはどうにも苦々しく感じられる。かつて「一個人」という雑誌の寝台列車特集でコメントさせていただいたことがあるが、同誌の記事はお世辞にも褒められた内容ではなかった。同誌に限らず、こうした寝台列車特集では通り一遍の寝台列車の紹介と寝台列車への賛歌がたいてい掲載される。ここまでならまだ許容できるが、決まって新幹線を貶めるのはいかがなものかと思う。新幹線についての著作物を筆者が多数手がけたために情が移ったといった安易な理由ではない。今日の新幹線の発展は人々が求めた結果であり、同様に寝台列車が姿を消すのも人々に必要とされなくなったという単純かつ厳然とした理屈が理解されていないからである。「寝台列車が好きだということはわかったから、もう少し社会の成り立ちを勉強してほしい」とさえ感じたほどだ。
 前置きが長くなりすぎたが、今回取り上げる「男の隠れ家」の「個室列車・全線走破の旅」もブームに安直に便乗した企画だと感じ、特に読んでみようという気は起きなかった。撮影が広田尚敬氏と広田泉氏と聞いてもである。「せっかくの写真も拙い思い入れによって台無しにされているに違いない――」と考えていた。
 ところが、広田尚敬氏のブログ「広田尚敬の鉄道コラム」の2007年12月18日付けの記事、「北陸のD300」を拝見すると、撮影した9列車のうち、「カシオペア」を除く8列車の文章は撮影当事者である広田尚敬氏または広田泉氏が手がけたのだという。早速手に入れて読んでみると、期待に違わない出来だった。
 どの列車の記事も詩的に記されてはいるが、過度の郷愁には走っていない。それどころか、少し寝台列車に距離を置き、撮影者自身との対峙ぶりが冷静に記されている。
 特に秀逸だと感じた記述は「あけぼの」についての広田尚敬氏の文章と「サンライズ瀬戸」についての広田泉氏の文章だ。
 前者では寝台車のカーテンのすき間から差し込む光が織りなす光景に記事の大半が費やされていた。ここでは寝台列車や鉄道写真についての説明は省かれ、人類が偶然発見した写真の原理について記されている。広田尚敬氏は「あけぼの」という列車名から、自分が何年もの間手がけてきた写真への感動や感謝を記そうと決めていたのだろう。こういう文章は一つの物事を何十年と続けないと思い付かない。
 いっぽう、後者では冒頭の段落で「サンライズ瀬戸・出雲」に使用されているJR東海とJR西日本の285系電車について「スマート」と評されていた。この一言が寝台列車の歩みと現状、そして問題点と今後をすべて凝縮している。長々と説明するよりも的確な一言――。これはまさに今回の書評をダラダラと記している筆者に当てはまることだが、簡潔に記すことの重要性と力強さを改めて認識させられた。
 お二人がもしも鉄道についてジャーナリステックな文章を記すようになったとしたら、筆者は他の仕事を探さなくてはならない。だが、当面は写真の撮影が忙しいと思われるのでその心配はなさそうだ。何しろ、記事中に掲載されている写真は同誌の他の写真を圧倒している。
 肝心の写真についても触れておこう。
 「日本海」が紹介されている101ページの右下には青森駅に停車中の電気機関車を写した広田尚敬氏の写真が載っている。この電気機関車はあたかも力強く走行しているように感じられ、寝台列車のもつ夢や物憂さといった魅力を最大限に引き出していると言えるだろう。どのような技法を用いればこのような作品を撮ることができるのかは筆者にはわからない。
 64ページには「カシオペア」のラウンジカーから力強く牽引するディーゼル機関車を写した広田泉氏の写真が掲載されている。背景は東山魁夷氏の絵画を思わせる美しい黄色一色に染まり、とても美しい。機関車は荒々しく走ってはいるが、どこか安らぎを与える。寝台列車はやはり機関車が牽引する列車であるほうが頼りになると再認識させられると同時に、そのために発進時や停車時のショックといった乗り心地の問題をついに解決できなかったという事実も改めて思い起こされてしまう。
 筆者には写真の良し悪しを見る目はない。だが、「創造的な写真はかくあるべし」だと言えることだけは確かである。

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