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鉄道写真撮影ガイド


廣田尚敬、『鉄道写真撮影ガイド』、朝日ソノラマ、1976年10月。定価:550円(税別)。ただし現在は絶版。

 鉄道写真家、広田尚敬氏についてはいつかは語らなくてはならないと思っていた。しかし、広田尚敬氏の著作物のいくつかを微力ながら筆者も手がけさせていただいたので、どう論評しても宣伝につながるのではないかと懸念し、いままで避けていたのである。だが、2007(平成19)年9月14日付けの「鉄道よもやま話」「鉄道ブームとは何か」で鉄道ブームについて今後も言及すると述べたこともあり、今回は広田尚敬氏の著作物の書評を通じて論じてみたい。
 さて、今回取り上げたいのは『鉄道写真撮影ガイド』である。本書はすでに絶版となっており、恐らく散逸したためかと思われるのだが、国立国会図書館にも収蔵されていない。ただし、筆者が調べたところ、東京都内では東京都立中央図書館をはじめ、小平市立中央図書館、江東区立江東図書館、立川市図書館では閲覧できることが判明した。また、もしも鉄道博物館に図書室が開設されればここには間違いなくあるはずだし、交通科学博物館の図書室には収蔵されている。
 いま挙げたように、読むまでの道のりが非常に険しい書物であるが、それだけの価値のある本だ。鉄道写真家を目指す人なら古書店でぜひとも入手して読むべきだし、優れた芸術家による鉄道論として鑑賞することもできる。
 書名から撮影地ガイドをまとめた本かと勘違いしてしまいがちだが、そのような記述は一切ない。「本書は、あくまでも撮影地へたどり着く前の、あるいは撮影地に行ってから写真をどのように撮るかという、鉄道写真の基本を知ってもらう本である。」(168ページ)とあるように、鉄道写真、いやそれだけではなく鉄道についての考え方ばかりが述べられているのだ。
 本文中でも単に撮影地を紹介するだけでよしとする風潮には痛烈な批判を浴びせている。92ページには「すべてがお膳立てされていて、レリーズを渡され、『ハイ』と押してでき上がる写真などは、楽しみが少なくてかわいそうにさえ思える。」とあった。この本が発行された31年前でも、イベント列車が走る日にだけ有名撮影地に人が押し寄せ、あとは知らんぷりというのが当たり前だったと筆者は感じている。広田氏は、これから鉄道写真を撮影しようと志す人たちに対し、「考えよ」というメッセージを送っているといえよう。
 いま挙げたメッセージは繰り返し登場し、本書の骨格を形成している。117ページには次のような記述があった。
「(撮影において)窮地に追い込まれるたびに、私は考える。これは苦しみではない。苦しみなどあるものか。窮地からいかにして脱するか、与えられた条件の中でいかに作画するか、そこにパズルを解くような、あるいは高等数学に挑むような楽しい作業を見出すことができないだろうか。写真も、限界ギリギリのポイントで撮影するところに、楽しさがあるように思うのだ。」
 広田氏の宣言どおり、この本では鉄道写真を撮影する際のいろいろな疑問点を実際に数式を用いて解明を試みている。そのなかで広田氏の次男でやはり鉄道写真家の広田泉氏をはじめ、筆者にも大きな影響を及ぼした記述は124ページから134ページまでの「流し撮り」だ。ここには通常あるような「流し撮りは考えるよりも実践あるのみ」だとか「運動神経を磨くべき」といった考え方を排除し、列車がどのような運動を行い、それとどう向き合うかが三角関数を用いて解説されている(残念ながら本書の数式には誤植があり、答えが一桁間違っている。正しい数値は広田尚敬著、『デジタルカメラを生かす鉄道写真』(東京堂出版、2006年1月に収録されている)。
 困ったことに、鉄道写真家よりももっと考えなくてはならないとされる鉄道書の編集者や執筆者にさえ、あまり考えなくてよいという風潮が主流を占めているのは残念だ。本当は困るのだが、三角関数を理解できないのは仕方がないとして、「数学などわからなくても実生活には困らない」などと公言している鉄道メディア関係者が何人も存在する。こうした厳しい現実を見ると、そうした人たちへの怒りよりも、そうした人たちによってつくられた書物を読まなくてはならない読者が哀れでならない。
 なぜ数学が重要なのか。それは鉄道関係の書物で最も多く扱われている車両について考えてみればすぐにわかるだろう。古くは国鉄が新車を製造したり、大幅なモデルチェンジを実施するたびに発行していた説明書、通称取説(とりせつ)をはじめ、現代でも「Rolling stock & machinery」誌(月刊、社団法人日本鉄道車両機械技術協会発行)といった鉄道専門誌で取り上げられる車両の紹介記事には数多くの数式やグラフが掲載されている。これらを理解できないということは、車両について理解できていないと言わざるを得ない。
 広田氏が優れているのは、頭で考えて撮影した写真をそうではないように見せている点だ。作品の数々は緻密な計算と持って生まれた感性とで成り立っているのだが、緻密な計算などなく、感性の赴くままに撮影したかのように表現しているため、その神髄をまねすることは極めて難しい。仮にできたとしたら、あなたは明日から鉄道写真家だ。しかし、本書を読めばあるいはそうした境地にたどり着くことができるかもしれないとの希望を抱かせてくれる。

 ここからは宣伝となるが、筆者は本書を現代の世にこそ広めることが必要だと感じ、復刻を試みた。広田氏にその旨を伝えると、新たに書き直していただけることとなり、その結果が『デジタルカメラを生かす鉄道写真』(東京堂出版、2006年1月)となって結実したのだ。この本もまた、鉄道写真の撮影術だけを指南するのではなく、鉄道写真についてあるいは鉄道、さらには人生についての考え方が満載されている。ただ残念なことにこの本は多くの方に読まれたとはいえない。鉄道写真など車両がきれいに写っていればそれでよいという風潮がますます強くなったからなのかもしれないし、作例がすべてモノクロという体裁も受け入れられなかったのも一因だろう。つまるところは筆者に能力が不足しているのかもしれない。
 しかし、そうした表層的な事象だけで読まれないのは実に惜しいことである。鉄道について、ひいては昨今の鉄道ブームについて考えてみたい方はこちらのほうが入手しやすいので勧めたい。機会があれば、『鉄道写真撮影ガイド』とも読み比べていただければより深く理解できるはずだ。

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