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「西日本旅客鉄道株式会社福知山線塚口駅〜尼崎駅間列車脱線事故 鉄道事故調査報告書」を海難審判庁の裁決文を通して見る

納得のいかない最終報告書の記し方

 去る2007(平成19)年7月1日に「西日本旅客鉄道株式会社福知山線塚口駅〜尼崎駅間列車脱線事故 鉄道事故調査報告書」(以下最終報告書)についての考察を発表すると予告したものの、その作業はなかなか進まなった。言い訳をするつもりではないが、ここに記されていることが理解できなかったのではない。記し方に納得がいかなかったのだ。
 福知山線脱線事故の遺族の方々などで構成される「4・25ネットワーク」は最終報告書が発表となった6月28日(木)、そして航空・鉄道事故調査委員会(以下事故調)が7月7日(土)に開いた遺族や負傷者の皆さんに向けての説明会の後、それぞれ記者会見を行い、「納得できない」と表明している。
 同ネットワークが特に「納得できない」と言及していたのはATS(自動列車装置)についてだ。筆者は事故直後からテレビ等のメディアにおいて、事故発生地点の周辺にはATSに曲線の手前で列車の速度がオーバーしているかどうかを照査する機能がなく、危険な速度で曲線に進入しようとしていた快速電第5418M列車を止められなかったことも事故の要因だと主張してきた。事故直後から報道されていたように、ATS-P形が導入され、事故の起きた曲線の手前で速度照査機能が作動して事故調のいう最大ブレーキ(JISE4001の番号73008では全ブレーキ=最大制動力が得られる常用ブレーキ)が作動すれば事なきを得たのである。にもかかわらず、国土交通省は遺族や負傷者の皆さんには「(筆者注、ATSの設置について)対策をとらなかったことと、原因は必ずしも一致しない」(2007年7月8日付け日本経済新聞朝刊39面)と語ったという。少々理解できない答えだ。というのも、事故調自身、JR西日本がATS-P形の設置の遅れを批判しているからである。最終報告書の135ページの終わりから136ページの冒頭を読んでみよう。
「これに関して、上述の者の後任として平成15年6月に本社安全対策室の福知山線拠点P整備担当となった者は、次のように口述している。
 自分が着任する直前に発生した事故への対応等のため、福知山線拠点P整備については、平成15年6月下旬から着手することとなり、そのころには9月の経営会議にかけようと、総合企画本部の担当者等と打ち合わせていた。
 平成15年度投資計画では平成16年度内に終えることになっていることは知っていたが、9月の経営会議にかけようとした時点で、拠点Pの停止信号冒進防止機能については平成16年度内の使用開始であるが、分岐速照機能、曲線速照機能等については平成17年度に若干入り込むくらいのイメージであった。平成15年度の中長期計画の平成15年度、平成16年度という計画から少しずれるという認識はあったが、大きな問題だとは認識していなかった。」
 本社安全対策室の福知山線拠点P整備担当者がなぜ「大きな問題だとは認識していなかった」と弁解したのか。それは事故調の担当者が問題視し、追及したからだ。筆者は事故調の最終報告書は鉄道事業を管轄する国土交通省の見解だと考えていた。もしも新聞の記事にあるような回答がなされるのならばこの考えを改めなくてはならない。
 「4・25ネットワーク」は最終報告書について「責任追及が不十分」だとも記者会見で述べている。これについても筆者は同感だ。先ほどの本社安全対策室の福知山線拠点P整備担当者の発言を借りて遠回しに責任を負わせるのではなく、事故調が一人称で記して「責任追及の責任」を負うべきだと考える。もちろん、航空・鉄道事故調査委員会設置法第一条にもあるように事故調とは事故の原因究明と再発防止を目的として設置されたものであるから、責任追及をすべきではないという考えはやむを得ないのかもしれない。

厳しい追及が行われている海難審判庁の裁決書

 ここで船舶の事故を見てみよう。海難審判法第一条で「この法律は、海難審判庁の審判によつて海難の原因を明らかにし、以てその発生の防止に寄与することを目的とする。」と定められた海難審判庁は同様に「責任追及が不十分」なのだろうか。一例としてご覧いただきたいのは高等海難審判庁が1959(昭和34)年2月9日に言い渡した汽船洞爺丸遭難事件の裁決書の一部だ。ここでは国鉄に対し、船体の構造が危険であり、なおかつ安全についての意識が著しく欠如していたとの厳しい追及が生々しく記されている。
「(前略)さらに連絡船の管理部門は、本航路が特殊な輸送態勢下に、特殊な構造の船舶を使用し、また特殊な乗組交替制をとつていたのであるから、連絡船の運航の実態をは(把)握し、その特殊な事情に応じて安仝運航に必要な措置をとることができるものでなければならなかつたのに、連絡船の安仝運航はすべて船長に委ぬれば足りるとし、管理部門はこれに介入すべきでないとする見解をとつていたため車両とう載区画の浸水に対処する樽造の現状が本航路の運航の実情から適当でないことを認識できず、事故発生の危険が予想される異常な場合における安仝運航について対策の必要なことの認識を欠き、したがつて安仝運航につき必要な配慮及び措置をなし得るような職員の配置及び権限がその機構になく、また異常の場合における職員の非常態勢勤務及び職務権限についての何らの定めもなかつた。このような連絡船の管理機構及び方針は、国が本航路を経営していたころから本件発生にいたるまで長年にわたつて行われていたものであるが本航路の運航の実情を考えると連絡船の運航管理は適当なものではないといわねばならぬ。しかして、本件発生当時、指定海難関係人高見忠雄(青函鉄道管理局長)、森船舶部長及び川上海務課長以下連絡船運航管理の要職にあるものが、台風第十五号の来襲の警報が発せられ、連絡船の運航に危険が予想されて函館及び青森におけるすべての連絡船が定時出航を見合わせている状況を知りながら、部下職員をして非常勤務につかせることもなく、また出勤して自ら指揮することもなく、台風の荒天下に出航せんとする洞爺丸船長に何らの援助協力も行わず仝く無関心の態度をもつて臨み、当直の輸送指令は、出航した本船が台風の荒天下に主機関及び発電機が止まりつつある旨の報告を受けながら、それがすでに重大な事故の発生であることを認識できなかつたため、直ちに上司に報告せず、本船遭難者の上陸の報告によつて初めて事故の重大さを認識して、ようやく遭難者救援の対策を講ずるにいたつたものであつて、このように国鉄本庁及び青函局における連絡船の運航管理が適当でなかつたことは、結局本件遭難のような重大な海難を発生せしめるにいたつた一因をなすものである。」(高等海難審判庁監修、海難審判協会編、『海難審判庁裁決録 昭和三十四年一・二月分』、海難審判協会、1959年、93〜94ページ。カッコ内は筆者)
 改めて説明するまでもないかもしれないが、洞爺丸遭難事件とは1954(昭和29)年9月26日に発生した。台風15号が接近しているにもかかわらず、国鉄の青函連絡船洞爺丸は無理に出港し、およそ4時間もの漂流を続けた後に転覆、沈没。旅客1041人、乗組員73人、その他41人の合わせて1155人が死亡または行方不明となった日本最大の海難事件だ。
 そもそも、事故調は「事故」といい、海難審判庁は「事件」と称している。これは両者に与えられた権限の違いから来ているようだ。事故調は国土交通大臣に対しての建議という形でしか申し立てができないが、海難審判庁は海技免許受有者に対し行政処分を行う権限も与えられている。だが、事故の再発防止という設置目的は両者も変わらない。
 海難審判庁の裁決を読んでしまうと、事故調が記した最終報告書の記し方では「納得できない」し、「責任追及が不十分」でもある。筆者が最も心配しているのは最終報告書に込められた意図が果たしてJR西日本に伝わったのかという点だ。これはJR西日本が悪意をもって誤りを正さないという意味ではない。どこを改善してよいのかがはっきりしないのだ。
 高等審判庁での裁決に先立つ1955(昭和30)年9月22日、函館地方海難審判庁は国鉄(正確には指定海難関係人の十河信二総裁)に対し、「連絡船の船体構造及び運航管理の改善について勧告」(高等海難審判庁監修、海難審判協会編、『海難審判庁裁決録 昭和三十年九・十月分』、海難審判協会、1955年、1351ページ)を行った。改善の内容は先に挙げた高等海難審判庁の裁決文とほぼ同じだ。一人称ではっきりと「責任を追及」されたからこそ、国鉄は船体の構造を根本的に変え、本庁営業局船舶課を船舶部を経て船舶局へと昇格させ、青函鉄道管理局は連絡船部門の権限を鉄道と対等に高めた青函船舶鉄道管理局へと変えたのである。
 不思議なことに識者や鉄道関連の執筆者のなかには、JR西日本の体制面や体質面での問題を事故調が福知山線脱線事故の一因としていることにすら否定的な意見を抱いている人が存在する。筆者にはこのような意見がいかなる理由から生じたのかはわからない。日々海難審判庁の裁決書に目を通している船舶関係者の皆さんにとっても奇異に感じられるはずだ。そうした雑音をなくすためにも最終報告書の文面は毅然とした記し方とすべきであった。


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