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San Francisco Municipal Transportation Agency

 5月14日という日は1991(平成3)年に信楽高原鐵道信楽線小野谷信号場-紫香楽宮跡間で正面衝突事故が発生した日である。この事故で42人の方々が亡くなり、614人の方々が重軽傷を負った。ここで改めてお亡くなりになられた皆様のご冥福をお祈りし、心身に深い傷を負われた皆様にはお見舞いを申し上げます。
 事故から16年を経た5月14日という日は、鉄道は安全になったのか、鉄道は進歩したのかという問いを筆者に対して突きつけられた日でもあった。「そうである」と答えたいところだが、ここのところ、鉄道にまつわる話題には気が滅入るような話題ばかりである。
 当ページをご覧の皆様にとっては一刻も早く忘れてしまいたいニュースかと思うのだが、JR西日本の特急「サンダーバード」の車内で女性が暴行を受けた事件、JR北海道の留萌線の列車に高校生が乗り切れなかったことに対する混乱などだ。実はこれらの件には読者の方々からメールをいただき、筆者の考えを聞きたいとのコメントが寄せられている。通常ならば、一つ一つの事例について事細かに検証すべきだろう。実際に2007(平成19)年5月9日に留萌線秩父別(ちっぷべつ)駅で発生した「騒ぎ」については上尾事件にも見たてて調査を行ったが、発表は時期尚早だと考えている。もう少々お待ちいただきたい。

30年前、アメリカの一都市の公共交通機関とは……


 いま挙げた2つの事件について考えたとき、筆者はいまから30年前の1977(昭和52)年ごろ、小学生の一時期に行っていた電車とバスを乗り継いでの通学を思い浮かべた。当時、アメリカはサンフランシスコに住んでいた筆者はサンフランシスコ市交通局(San Francisco Municipal Transportation Agency。通称、MUNI)を利用して市の中心部にある小学校に通っていたのである。
 電車というのはサンフランシスコ市電のL系統だ。路面電車に詳しい方ならおわかりかもしれないが、当時はPCC(Presidents' Conference Committee)カーという1930〜1950年代製の一見鈍重な電車の天下だった。とはいうものの、PCCカーは世界の電車の歴史に名を残す高性能車両だ。この電車が開発されなければ現在の新幹線もあり得ないと断言できる。日本ではほとんど省みられていないが、いずれ評価すべきときも訪れるはずだろう。
 さて、映画「ダーティーハリー」をご覧になると、クリント・イーストウッド演じるハリー・キャラハン刑事がトンネルの中を走る路面電車に乗って犯人を追いつめるシーンが登場する。このトンネルはサンフランシスコ市にそびえ立つツインピークスという山に掘られたものだ。日本の地下鉄からは想像もできないような暗いトンネルに暗い車内。筆者が乗っていたL系統もここを通過していた。
 当時、そして恐らくいまもだろうが、サンフランシスコという街は治安が悪い。路面電車やバスに乗ると、運転士に近い前方は白人のいる場所、真ん中の戸から後方は有色人種の場所と決まっていた。人種差別ではなく、白人が恐がって後方に行かなかったからだ。運転士のそばは白人、特に老人が固まり、身動きが取れないほどだ。しかし、混雑をかき分けてやや空いている後ろに行くと最後部の座席には鋭い目つきをした有色人種の男性が座っていることが常だった。白人の利用客にとって、後方に行くということは命がけの行為だったのかもしれない。
 それでも混雑を平準化しようと運転士も誘導することはあった。ただし、白人に対しては無理強いはしていない。したがって、筆者のような有色人種は自然に後方へと移動することとなる。
 路面電車でもバスでも前方と後方との設備の差は大きなものだった。前方の腰掛にはモケットが張られていたが、後方のものはプラスチック製。これはナイフなどでモケットを切り取られないようにするための対策だった。それでも、前方のモケットの一部も破られていたし、後方に行くにしたがって落書きも多くなる。窓が外れているような車両すらあった。

トラブルに的確に対処する乗務員、そして協力する大人

 自慢でも何でもないが、筆者が通学する際、親は付き添わなかった。1歳下と5歳下の2人の妹を引き連れ、毎日路面電車とバスに乗っていたのだ。しかし、幸いなことにというか、穴の開いたズボンや靴を履き、有色人種でもある筆者は路面電車やバスの後方に乗っても特に恐い目には遭わなかった。筆者が利用していた1系統というトロリーバスは市内で最も治安の悪いといわれるフィルモア街と交差していたにもかかわらずである。
 映画「ダーティーハリー3」をご覧になった方なら、ハリー・キャラハンが相棒の女性刑事に「ここはフィルモア街といって白人がほとんどいない地区なんだ」と言っていたのを覚えておられるかもしれない。トロリーバスから見たフィルモア街はサンフランシスコのなかでも異様な光景だったことはいまでも強烈に覚えている。
 約1年にわたる利用期間のなかで筆者が遭遇したトラブルは1回だけ。バスのなかで起きたけんかだった。屈強な運転士は慌てもせずにバスを止め、これまた屈強な利用客の協力を受け、けんかをしている当事者2人をバスから蹴落としてしまったのである。
 ここまでで一体何が言いたいのかというと、やはり輸送機関ならば運転士や車掌といった乗務員がリーダーシップを取るべきだということである。車内で起きたトラブルには責任者が毅然とした対応を取らなければならないし、立派な大人ならば周囲も協力すべきだという事例をこのとき学んだ。
 映画やドラマになった「電車男」ではないが、1990年代半ばに東京急行電鉄の車内で筆者は女性に絡む酔客を退治したことがある。暴力が許されないのは承知のうえだが、このとき筆者が思い浮かべたのは小学校6年生のときに見たサンフランシスコ市交通局の職員、そして職員に協力する大人の姿だった。
 当の日本では周りに多くの利用客がいたのに知らん顔。車掌が近くにいてももちろん何もしなかった。その後の鉄道、そして日本がどうなってしまったのかは皆様ご存じのとおりだ。坂口安吾ではないが、墜ちるところまで墜ちてしまったほうがよいのかもしれない。サンフランシスコのように公共交通機関を利用する行為が危険と隣り合わせとなり、居眠りすらできないような状況となったとき、人はようやく目を覚ますはずだ。


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