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JR西日本考

不愉快なニュースが全国に発信される

 見出しを見たり聞いたりするだけで憂鬱な気分となるニュースの多い昨今、鉄道界にも心が暗くなるニュースが駆けめぐった。すでにご存じのことと思うが、2006(平成18)年7月27日(木)午後に報じられたJR西日本に関するニュースである。
 同社は7月29日(土)と30日(日)の両日、2005(平成17)年4月25日(月)に発生した福知山線での脱線転覆事故の報告会の開催を計画した。その際、示談が成立した負傷者数十人には開催を告知しなかったというのだ。
 多くの皆様はここまで聞いて、もうそのニュースの詳細を見るのも聞くのも嫌になったのではないだろうか。筆者もその一人である。
 悪いことに、29日に開催された説明会では事故の責任を取って辞任した幹部が子会社の幹部に就任したことをめぐって紛糾した。JR西日本は人事についてすでに決定した事項であるために変えられないと理解を求めるものの、負傷者や遺族には納得できるはずもない。この数日間を出来事を振り返ると、JR西日本は一体何を考えているのかとだれもが感じられたに違いない。
 29日晩、本ホームページの読者の方からメールをいただいた。その方もやはりJR西日本の対応について気に病んでおられるようだ。暗い話題は忘れてしまいたいのはやまやまだが、ここでJR西日本について考えてみることとしたい。

破滅は願わない。だが時期尚早ではないだろうか

 順序は逆だが、まずはJR西日本の不可解な人事について述べることとする。非常に乱暴な言い方ではあるが、究極的には辞任した幹部たちの生活を支援するためだろう。筆者は、責任のある立場の人間には責任を取ってほしいとは思うものの、人生の破滅までは願わない。したがって、どこかで折り合いを付けなければならないが、いまの段階では端から見ても転出は早すぎるように感じられる。
 とはいうものの、たとえ3年あるいは5年という間を置いて職務に復帰しても必ず非難されることだろう。これは仕方がない。これもすべてはJR西日本が取り返しのつかない大事故を起こしてしまったからだ。それでも、大多数の負傷者や遺族の皆様が「もうよい」と感じられる時期がいつか到来するはずだ。その日まで待つべきだし、幹部になる際にはそのような責任をあることを自覚したうえで就任するべきだっただろう。

何を言っても行っても非難される。それは加害者の宿命

 さて、示談の成立した負傷者には報告会の日程すら伝えなかったという点については少々入り組んだ事情が存在する。JR西日本が一方的に告知を打ち切ったのであれば、同社には弁解の余地もない。米国の航空会社の事例でも参考にした結果、あまりよい意味で用いられることのない「グローバリゼーション」とやらに毒されたのかとあきれてしまうのがせいぜいのところだ。
 ところが、事実はそうではない。示談が成立した負傷者に対し、JR西日本は今後報告会等の日程を伝えてよいかどうかの意思確認を行い、もう二度と同社とかかわりたくないので連絡不要と答えた方々に対してだけ告知しなかったというのだ。
 となるとJR西日本にも同情すべき点もあるが、実際のところ意思確認は徹底していなかったという。「連絡 要 不要 どちらかに○を付けてください」という主旨のアンケートを取ったのではなく、交渉で発せられた言葉のニュアンスから判断したのだろう。
 アンケートを取れば強要しているようだと非難され、遠回しな言い方で意思を確認すればはっきり聞くべきだとたたかれる。そもそも、全員に報告会等の開催を伝えれば、もう二度とかかわりたくないのにと怒りをぶつけられ、かといって連絡しなければ何とも非情な会社だとなってしまう。JR西日本にとってはほとほと損な役割だし、少しでも円滑に事を進めたいという気持ちは理解できる。
 これまた繰り返しなのだが、何をやっても非難や怒りの矛先をぶつけられるのだと考えるほかない。どうあっても取り返しのつかないことをしてしまった張本人はまぎれもなくJR西日本自身だからだ。

 今回、JR西日本をめぐる一連の騒動で再認識したことがある。それはつらい事実に目を背けてはいけないという点だ。もちろん、皆様に嫌な思いを強いるつもりは全くない。そうではなく、鉄道について他の人に説明しなくてはならない筆者のような立場の人間が逃げてしまったことについての反省なのだ。
 こうしたことを見るにつけ聞くにつけ、鉄道は夢の世界を走るテーマパークの乗り物ではないのだと思う。鉄道は社会の一員であり、現実の世界を成り立たせる一要素である。したがって、社会の問題点はすべて鉄道にも投影されているのだ。だからといって未来は暗いのかというとそうでもない。現実の世界がお先真っ暗ではないのと同様、鉄道にも光は射している。ただし、そこに至る道のりは長く険しい。少々、観念的に過ぎるのかもしれないが、いま本当にそのことを痛感する。

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