何を知らないかを知る
鉄道について執筆することを生業とする人の数はそうは多くないものの、数人という状況でもない。今回は具体的なお名前は一切出さないが、大御所から中堅、若手まで、末席に位置する筆者を含めて30人はいるだろうか。
ホームページやブログを開設している同業者は多い。近年の流行ということもあってかブログが目立つ。筆者の場合、頻繁に閲覧するほどの余裕はないものの、数カ月に1回程度は見ておこうかと考える。同業者の動向に興味を抱くというよりも、昨今の鉄道について考える際、何か有意義なヒントが得られるかと期待してという理由からだ。
ところが、大御所の先達の方々の発言を除いて、裏切られてばかりといったところが本音である。筆者と同世代の中堅、あるいは若手の同業者の方々のなかには熱心に情報を発信されておられる方も多いのだが、こと鉄道の見方となると見事に何も得られないのだ。それどころか腹立たしくなる機会のほうが多い。具体的にはこれから述べる理由のとおりだ。
まず、鉄道が置かれている状況に全く無頓着である。
昨今の不況で鉄道は大変厳しい状況に置かれており、もはや一刻の猶予もない。筆者が取材した鉄道関係者のなかには気の毒になるくらいやつれてしまった方もいた。
だが、筆者が見回した限りでは同業者のどのホームページ、ブログでもなぜかこのような危機的状況について全く触れられていない。うがった見方をすると、こういうことを書くと、クライアントである鉄道会社の怒りを買って仕事がもらえなくなると遠慮しているのかもしれないとも考えられる。しかし、プロフェッショナルの執筆者であれば書き方をいくらでも工夫できるだろう。
なお、「それならばお前(梅原淳)も書いていないだろう」とのご指摘もあるはずで、仰せごもっともである。弁解をするならば、筆者は「週刊エコノミスト」2009年6月9日号(毎日新聞社)でJR東日本、JR東海、JR西日本3社の今季の動向について暗い予想を立てさせていただいた。執筆時にはあまりに悲観的な見通しを立てたので反省したのだが、掲載されてみると、拙稿を上回る勢いで情勢は悪化しており、言葉を失う。
このような状況下、同業者は何を記しているのだろうか。ある人はその日食べたもの、またある人は取材で列車に乗ってうれしかったとまさに他愛もないことを記述していた。もっと驚いたのは書くべきことがないと語った人が存在したことだ。こういう人にとって、100年に一度とも言われる不景気など、単に利用客が減って廃止されたに過ぎないローカル線や夜行寝台列車と比べれば取るに足らない事柄なのだろう。ごくたまにとはいえ、こうした文章に目を通すのは時間の無駄でしかないので、生涯遠慮させていただく所存だ。
続いて気になる点を挙げてみよう。知ったかぶりが見苦しい。
とかく鉄道愛好家とは自分が一番知っていると勘違いしがちで、同業者にもその傾向が見られるが、全く誤りだ。
鉄道のことをすべて知っていると自他共に認めてよいのは、国土交通省鉄道局で鉄道事業者と軌道経営者とを管轄する部署での勤務経験があり、鉄道事業者にあっては普通鉄道から浮上式鉄道まですべてを担当したことがある人のみだと筆者は考える。現時点でこのような人は1人いるかどうかだろう。となると、いかに鉄道について知っているかを競う行為に意味はない。鉄道のどの部分を知らないのかを知っているかということのほうが重要となる。
知ったかぶりで、鉄道車両には機関車、客車、貨車の3つしかないと記述した同業者がいた。電車は電動客車の省略形なので結局は客車の仲間だという説明には開いた口がふさがらない。筆者はこう尋ねたい。それではJR貨物のM250系のような貨物を運ぶ電車は何なのかと。電車に関するJISの定義「原動機に電動機を用いる旅客車及び貨物車並びにこれに連結する制御車及び付随車の総称。」(JISE4001の番号11109)を紹介しておこう。
恐らくこの同業者は電気車の歴史のなかで電車のほうが電気機関車よりも先に登場したことをご存じないものと思われる。この程度の知識を振り回して生活が成り立つのだから、鉄道の言論の世界は甘い。
反対に、見る価値のあるホームページ、ブログとは何だろうか。それはいわゆる「鉄子さん」と呼ばれる人たちが書いたものである。
どの方も例外なく、自分が鉄道についてよく知らないということを自覚して記している。そのうえで、可能な限り取材したり、文献に当たって疑問を解決した後に文章をしたためる姿勢が清々しい。筆者などはこれだけでも読む価値があると考えるが、知らないことを調べて書いたおかげで、明るく、無邪気とも思える記述のなかに本質を突いた深遠な思想が含まれることがままあり、感服させられる。
このような話を延々と述べたところで、ともすれば資源の無駄遣いだからそろそろやめておこう。結論から言えば、鉄道は厳しい状況に置かれている。にもかかわらず、鉄道について記す人たちが思い描いているのは相変わらずテーマパークのような夢の世界ばかりだ。こればかりはどうにかしてもらいたい。
現実は厳しいかもしれないが、厳しさを克服したその先には違う世界が広がる。ということで、筆者も現実を見つめて仕事に戻ろう。
ホームページやブログを開設している同業者は多い。近年の流行ということもあってかブログが目立つ。筆者の場合、頻繁に閲覧するほどの余裕はないものの、数カ月に1回程度は見ておこうかと考える。同業者の動向に興味を抱くというよりも、昨今の鉄道について考える際、何か有意義なヒントが得られるかと期待してという理由からだ。
ところが、大御所の先達の方々の発言を除いて、裏切られてばかりといったところが本音である。筆者と同世代の中堅、あるいは若手の同業者の方々のなかには熱心に情報を発信されておられる方も多いのだが、こと鉄道の見方となると見事に何も得られないのだ。それどころか腹立たしくなる機会のほうが多い。具体的にはこれから述べる理由のとおりだ。
まず、鉄道が置かれている状況に全く無頓着である。
昨今の不況で鉄道は大変厳しい状況に置かれており、もはや一刻の猶予もない。筆者が取材した鉄道関係者のなかには気の毒になるくらいやつれてしまった方もいた。
だが、筆者が見回した限りでは同業者のどのホームページ、ブログでもなぜかこのような危機的状況について全く触れられていない。うがった見方をすると、こういうことを書くと、クライアントである鉄道会社の怒りを買って仕事がもらえなくなると遠慮しているのかもしれないとも考えられる。しかし、プロフェッショナルの執筆者であれば書き方をいくらでも工夫できるだろう。
なお、「それならばお前(梅原淳)も書いていないだろう」とのご指摘もあるはずで、仰せごもっともである。弁解をするならば、筆者は「週刊エコノミスト」2009年6月9日号(毎日新聞社)でJR東日本、JR東海、JR西日本3社の今季の動向について暗い予想を立てさせていただいた。執筆時にはあまりに悲観的な見通しを立てたので反省したのだが、掲載されてみると、拙稿を上回る勢いで情勢は悪化しており、言葉を失う。
このような状況下、同業者は何を記しているのだろうか。ある人はその日食べたもの、またある人は取材で列車に乗ってうれしかったとまさに他愛もないことを記述していた。もっと驚いたのは書くべきことがないと語った人が存在したことだ。こういう人にとって、100年に一度とも言われる不景気など、単に利用客が減って廃止されたに過ぎないローカル線や夜行寝台列車と比べれば取るに足らない事柄なのだろう。ごくたまにとはいえ、こうした文章に目を通すのは時間の無駄でしかないので、生涯遠慮させていただく所存だ。
続いて気になる点を挙げてみよう。知ったかぶりが見苦しい。
とかく鉄道愛好家とは自分が一番知っていると勘違いしがちで、同業者にもその傾向が見られるが、全く誤りだ。
鉄道のことをすべて知っていると自他共に認めてよいのは、国土交通省鉄道局で鉄道事業者と軌道経営者とを管轄する部署での勤務経験があり、鉄道事業者にあっては普通鉄道から浮上式鉄道まですべてを担当したことがある人のみだと筆者は考える。現時点でこのような人は1人いるかどうかだろう。となると、いかに鉄道について知っているかを競う行為に意味はない。鉄道のどの部分を知らないのかを知っているかということのほうが重要となる。
知ったかぶりで、鉄道車両には機関車、客車、貨車の3つしかないと記述した同業者がいた。電車は電動客車の省略形なので結局は客車の仲間だという説明には開いた口がふさがらない。筆者はこう尋ねたい。それではJR貨物のM250系のような貨物を運ぶ電車は何なのかと。電車に関するJISの定義「原動機に電動機を用いる旅客車及び貨物車並びにこれに連結する制御車及び付随車の総称。」(JISE4001の番号11109)を紹介しておこう。
恐らくこの同業者は電気車の歴史のなかで電車のほうが電気機関車よりも先に登場したことをご存じないものと思われる。この程度の知識を振り回して生活が成り立つのだから、鉄道の言論の世界は甘い。
反対に、見る価値のあるホームページ、ブログとは何だろうか。それはいわゆる「鉄子さん」と呼ばれる人たちが書いたものである。
どの方も例外なく、自分が鉄道についてよく知らないということを自覚して記している。そのうえで、可能な限り取材したり、文献に当たって疑問を解決した後に文章をしたためる姿勢が清々しい。筆者などはこれだけでも読む価値があると考えるが、知らないことを調べて書いたおかげで、明るく、無邪気とも思える記述のなかに本質を突いた深遠な思想が含まれることがままあり、感服させられる。
このような話を延々と述べたところで、ともすれば資源の無駄遣いだからそろそろやめておこう。結論から言えば、鉄道は厳しい状況に置かれている。にもかかわらず、鉄道について記す人たちが思い描いているのは相変わらずテーマパークのような夢の世界ばかりだ。こればかりはどうにかしてもらいたい。
現実は厳しいかもしれないが、厳しさを克服したその先には違う世界が広がる。ということで、筆者も現実を見つめて仕事に戻ろう。
- 2009.06.15 Monday
- 鉄道ジャーナリストの日常